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プラザ合意って何?日本を襲った円高の津波。次のターゲットは中国??わかりやすく解説します。

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東京都在住。クリエイティブやアート、リベラルアーツが大好き。

今日は戦後の日本経済の転換点の一つであるプラザ合意について解説していきたいと思います。

 プラザ合意とは?

「プラザ合意」は、1986年にアメリカのワシントンにあるプラザホテルで行われた国際会議で決まった合意のことです。

当時の先進国であるアメリカやイギリス、フランス、西ドイツ、そして日本の5ヵ国(G5)の財務大臣・中央銀行総裁が集まりました

そこで、大きな議論の的になったのが、「日本の為替レート」についてでした。

そもそも戦後のブレトンウッズ体制においては、金に裏付けされた基軸通貨ドルを中心とした固定相場制が採られていました。(戦後、アメリカは世界の約8割の金を保有)

日本円とドルの為替レートの場合、当時は1ドル=360円に固定されていたのです。現在と比較するとかなり円安ですね。

この安い為替レートは、ある意味、戦勝国が敗戦後の日本の経済復興を支援するためのレートでした。円安にすることで輸出を促進させ外貨を稼げるようにしてくれたわけですね。要するにハンディをつけてくれたということです。

日本が戦後の経済復興から高度成長期を向けて成長していくなかで、この為替レートは徐々に切りあがっていったのですが、1985年時点での円ドルの為替レートは、「1ドル=235円」くらいでした。(ちなみに、この頃は、世界はニクソンショック以降の変動相場制の時代です)

この為替レートを武器として、80年代の日本は外国に対して、どんどん国産の自動車などの製品を輸出し、世界の市場を席捲していきました。「ジャパンアズナンバーワン」と言われたのもこの頃です。

一方、当時アメリカはレーガン政権でしたが、財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」に頭を悩ませており、なんとかこの問題を解決したいと思っていました。

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ロナルド・レーガン

特に80年代はソ連との冷戦の最終段階に入っており、レーガン政権は悪魔の帝国と呼んだソ連を打ち負かすために軍事拡大に予算を費やしていたため、財政赤字は拡大していました。

さらに、財政赤字に伴うインフレの抑止のために金利を上げていたことでドル高なっており、安い円を武器に輸出攻勢をかけていた日本によって、アメリカの自動車産業はボロボロで、失業者が街にあふれるような状態だったわけです。

この事態に危機感を覚えたアメリカのレーガン政権は、対日貿易赤字の削減のため、円の切り上げを日本に迫ることを決意。プラザホテルでのG5の国際会議が行われるに至ったわけです。

これが、最終的に、「プラザ合意」に結実し、G5による協調介入による事実上の円の切り上げ(円高)が実施されることになりました。

この結果、円は対ドルレートで1年後には150円にまで円高になります。1年で約60%も通貨価値が切り上げられたわけです。FXやってたらすごくもうけられそうです(笑)

ちなみに、この頃の日本の首相は中曽根康弘、大蔵大臣は竹下登でした。

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中曽根康弘
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竹下登

なぜ中曽根内閣はこの合意を受け入れざるを得なかったのでしょうか。

本来、このような急激な円高を招くような合意は日本にとっては好ましくありません。

しかし、当時は冷戦の時代であり、日本の一番の対外的な脅威はソ連でした。しかし、日本は戦後、日米同盟を主軸として、自国の防衛をアメリカに依存している立場であったため、アメリカの圧力に屈せざるを得なかったのです。

 

プラザ合意のインパクト

プラザ合意後の急激な円高は日本に大きな負のインパクトをもたらしました。

それまで輸出主導で経済を拡大させてきた日本にとって、急激な円高に対応するための経済の構造改革を迫られたわけです。

しかし、そんな簡単に経済の構造を変えることは簡単ではありません。

輸出企業にとっては円高になると日本から海外への輸出価格が割高になってしまい、その分売上が下がってしまいます。

そのため、日本の企業もなんとかその変化に対応しようとした結果、日本経済の主力である輸出企業がどんどん日本から出ていき、中国や東南アジアなどの海外に工場を建てるようになっていきました。

いわゆる“産業の空洞化”と言われる問題です。

さらに、プラザ合意による円高はバブルの原因をつくります。

急激な円高に対応するため、日本政府と日銀は金融緩和(利下げ)を推し進め、円高の影響を少しでも緩和しようとしたことにより、市場に増えたマネーが株式や土地などの資産に向かいました。

結果的に、プラザ合意による日本経済へのマイナスインパクトはたった5ヵ月ほどした続かず、1986年の11月から1989年にバブルの絶頂を迎えるまで日本の景気は右肩上がりになります。

しかし、ご存知のように、日本のバブルは1989年の12月に日経平均株価4万円をピークに、崩壊に向かい、“失われた20年”とも言われる長い日本経済の停滞を生み出すことになります。

このようにプラザ合意は日本経済にとっても大きな転換点だったのです。

中国版プラザ合意も近い?

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プラザ合意後の日本政府の対応、そしてその後のバブル崩壊の教訓は世界の経済学者からもケーススタディとしてかなり研究されました。

80年代の半ばに行われたプラザ合意ですが、最近では、「21世紀版のプラザ合意が行われるのではないか」とも言われています。そのターゲットとなる国は、日本ではなく中国です。

中国の通貨である人民元は、ドルとの管理変動相場制(ペッグ制)を採用していますが、実際の価値よりも安く為替レートを固定化しており、これまで何度もその為替政策が批判されてきました。

www.jun-globe.com

中国共産党は、中央銀行である人民銀行を使って為替レートを管理し、安い人民元を使って、輸出を伸ばし、外貨(ドル)をがっぽり稼いできました。そしてその外貨を元手に、金融を緩和し、経済だけでなく軍事に投資をしまくり、近所の国々を武力で恫喝するようになってきています。

この中国問題に対して強い問題意識を持っているのが、アメリカのトランプ大統領です。

トランプは大統領選挙の時から、「中国を為替操作国に認定する」ことを公約に掲げています。実際は、まだ為替操作国認定はされていませんが、関税と制裁を駆使した米中貿易戦争によって、対中貿易赤字を削減しようとしています。

かつて、レーガン大統領が日本に対して行った「円の切り上げ」ですが、21世紀においては、トランプ大統領による「元の切り上げ」に向かって動いていきそうです。

また、かつてレーガン大統領がソ連を“悪の帝国”としてその崩壊を目指したように、アメリカも中国共産党を“悪の帝国”として、その覇権主義を崩壊させることを狙っているはずです。

まとめ

戦後の日本経済の転換点であり、バブルの遠因ともなったプラザ合意。

当時、飛ぶ鳥落とす勢いで成長し、世界第二位の日本の経済規模を誇っていた日本の経済に危機感を覚えたアメリカによる封じ込めだったとも捉えられています。

そして現在のアメリカは中国に対して経済的な封じ込め作戦を行っています。

中国をターゲットとする「プラザ合意2.0」は発動されるのか?

今後の世界経済に目が離せません。

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